新型コロナウイルスが猛威をふるうなか、人気オンラインゲーム「World of Warcraft」の世界で15年前に起きた“伝染病”のパンデミックが注目されている。プレイヤーの逃避行動によってウイルスが拡散し、強いキャラクターが症状のないままウイルスをまき散らす──。当時の惨状は、現実世界の危機的な状況で人々がとる行動について大きな示唆を与えてくれる。
TEXT BY AMIT KATWALA
TRANSLATION BY TAKU SATO/GALILEO
いまから約15年前の2005年9月13日のことだ。人気ゲーム「World of Warcraft(ワールド オブ ウォークラフト、WoW)」のなかで、開発元が誤って“伝染病”をまき散らしてしまう事件が起きた。
このゲームは、アゼロスと呼ばれる仮想世界が舞台のオンラインロールプレイングゲームである。ジャングルや洞窟など、まだ開拓されていない広大な世界のあちこちに、大勢の人々が暮らす都市が点在している。
事件のきっかけは、この日の早い時間にソフトウェアがアップデートされ、「ズルグラブ(Zul’Gurub)」と呼ばれるエリアに大勢のプレイヤーが入れるようになったことだった。このエリアは、比較的レヴェルの高いキャラクターをもつプレイヤー向けに新しくつくられた、ジャングルのような場所だった。
この新しいエリアの目玉は、羽が生えた大蛇ハッカルとの戦いである。この手強い敵は、プレイヤーのキャラクターに「コラプテッド・ブラッド(Corrupted Blood)」という病気を感染させる力をもっていた。
しかも、この病気には、近くにいる別のキャラクターに感染する性質があった。こうした設定にされていた理由は、キャラクターの体力を少しずつ消耗させて、ハッカルになかなか勝てないようにするためだった。
ゲームの世界にウイルスが拡散
ところが、この設定が意図しない結果をもたらすことになる。
WoWでは、キャラクターが別の場所に素早く移動できる。例えば、ズルグラブのような辺境の地からすぐに都市へと移動して、物資を買いだめするようなことができるのだ。このため、ウイルスに感染したレヴェルの高いキャラクターたちが、大勢の人が住むエリアにウイルスを運び込んでしまい、多数のキャラクターが命を落としたり治療を余儀なくされたりすることになった。
しかもウイルスの拡散は、ふたつの要因によって増幅された。ひとつは、ゲーム内のペットだ。まるで腺ペストのように、このペットが保菌者となって、新たな拡散が引き起こされたのだ。多くのプレイヤーは、戦いの前や最中にペットを一種の仮死状態にしていたが、ペットが仮死状態から目覚めると新たな拡散が始まったのである。
もうひとつは、店員などのノンプレイヤーキャラクターだった。これらのキャラクターは基本的に死なないように設計されていたことから、かえってウイルスを媒介する役目を果たし、たちまちスーパー・スプレッダーになってしまったのだ。
仮想世界のパンデミックから得た気付き
そしてほどなくコラプテッド・ブラッドは、ゲーム内で本格的なパンデミック(世界的大流行)を引き起こした。大勢が住んでいた首都のオークションハウスに死体の山が積み上がる光景を目にしたプレイヤーは、単なる愉快なエピソード以上の深刻な事態になる可能性があることを悟った。
だが、疫学者であり熱心なゲーマーでもあったエリック・ロフグレンは、コラプテッド・ブラッドに対するプレイヤーたちの行動を見ていて、あることに気づいた。現実世界で伝染病が急速に拡散したときに人々がとる行動について、有益な洞察を与えてくれる可能性があると感じたのだ。
新型コロナウイルス感染症「COVID-19」のような感染症の広がりを予測する科学者が利用しているモデルの多くは、人々がとるであろう行動を基にしている。そう考えると、これは非常に重要な視点である。
とはいえ、人は極めて不合理な生き物だ。ウイルスの拡散を懸念して欧州サッカーのチャンピオンズリーグの試合(ボルシア・ドルトムント対パリ・サンジェルマン)の観戦を禁じられたファンたちが、スタジアムの外に大挙して集まるようなことは、想像できなかっただろう。ウクライナで自分の住む地域に検疫センターがつくられることに不安を抱いた人々が、武漢からの脱出者を乗せたバスに投石したりするようなことも、ほとんど予測できなかったはずだ。
新型コロナウイルスとの共通点
コラプテッド・ブラッドの大流行に関する論文を07年に発表したロフグレンは、「従来のコンピューターを使ったシミュレーションは、世界中のあらゆることがわかっているという前提に立っています」と語る。「そのようなシミュレーションは、人が言われた通りにしか行動しないことを前提としています。けれども、ここ(WoW)では、人間の非合理さを余すことなく見ることができます」
新型コロナウイルスが地方から都市部へと拡散する様子は、コラプテッド・ブラッドを彷彿とさせるものだった。感染のひどい国々で見られた人々の行動の一部もそうだ。
レヴェルの高いキャラクターをもつプレイヤーにとっては、コラプテッド・ブラッドは普通のかぜ程度のものでしかなかった。このため、こうしたプレイヤーたちはいつも通りにゲームを続けた。その結果、レヴェルの低いキャラクターがいる場所にウイルスが広まり、次々と死人が出ることになったのだ。
一方で、ファースト・レスポンダー(最初の対応者)になろうとする人もいたと、ロフグレンは言う。これらの人たちは感染の中心地に移動し、感染したプレイヤーを治療しようとした。しかしたいていの場合は、こうした行動によって自分自身が感染し、さらに病気を広めてしまうことになった。これはウイルス感染と疲労が重なった医療関係者が、病に倒れたり亡くなったりした状況と似ている。
ゲーム世界の経済にも大きな混乱
コラプテッド・ブラッドの拡散が伝えられ、どんな騒ぎになっているのかを見ようとゲームにログインした人は、たちまち自分のキャラクターを感染させてしまった。それどころか、プレイヤーが意図的にウイルスを広めようとする事件さえ起きていた。
新型コロナウイルスを巡っては、NBA選手のルディ・ゴベールが記者会見でわざとマイクや録音機器に触れて非難される出来事もあった(彼はその数日後、検査で陽性であることが判明した)。これもゲームと現実がパラレルになることを示すもうひとつの事例だろう。
「たとえ病気になっても、経済的な状況が許さないとか、チームのメンバーを裏切るわけにはいかないといった理由で、仕事に行く人が出てきます」と、ロフグレンは言う。「事態を真剣に受け止めず、あえてそのリスクを無視する人もいるでしょう。しかしこれは、意図的にウイルスを拡散しているようなものなのです」
ロフグレンによれば、ゲーム内で買いだめが起こった例を見た記憶はほとんどないという(つまり、仮想パスタを買いに走る人はいなかったようだ)。それでも、コラプテッド・ブラッドは数日間にわたって広い範囲に影響を及ぼした。
「人口密度が非常に高く、ゲームの社会的・経済的中心地であった首都は、住むことが極めて難しい状態になりました」とロフグレンは言う。「ゲーム世界の経済に、かなり大きな混乱を引き起こしたのです」
この事件はロフグレンにとって、感染が拡大するなかで人々がとる行動の重要性を浮き彫りにするものとなった。「人々が自分のリスクをどう判断するのかが極めて重要になります」と、彼は言う。
ところがコラプテッド・ブラッドについては、感染が発生した期間の人々の行動に関する膨大なデータがあるにもかかわらず、突っ込んだ研究はほとんど行われていない。その理由のひとつは、製品のエンターテインメント的な価値を損ないかねない研究であることから、開発者を巻き込むことが難しく、コストもかかるからだ。
「この事件を人々が面白がったのは、興奮を呼び起こすような緊急事態だったというだけでなく、その状況が長くは続かなかったからです」と、ロフグレンは言う。「もし数週間も続いていたら、みんないら立ち始めていたでしょうね」
感染症の流行をシミュレーションしたゲームから見えたこと
行動経済学者のなかにも、より現実に近い状況で感染病が流行したときの人間の行動を解き明かすために、ゲームを利用している人たちがいる。13年には、ノースカロライナ州にあるウェイクフォレスト大学のエコノミストのフレデリック・チェンが、感染症の流行をシミュレーションした45日間のオンラインゲームを開発した。
このゲームのプレイヤーは、健康を維持していればポイントを与えられるが、病気になればポイントを剥奪される。そして、実験終了時のポイントに応じた報酬が、現金で支給されることになっていた。ゲーム参加者は、自分が感染したかどうか、またほかに何人の感染者が出たのかを毎日知らされた。また、次回の感染拡大に備えて自衛策を講じるかを選択しなければならなかった。
これは、社会的隔離という現在の戦略と似ている。自衛策を講じることはコストがかかるが、病気になった場合よりもコストは低い。チェンは実験のさまざまな段階で自衛策のコストを変化させ、次回の感染に備えて予防接種を受けることを選んだ場合に失われるポイントを変更した。
「コストが低くなるほど、人々は進んで自己防衛するようになり、感染率は低くなりました」とチェンは言う。「より低いコストで、より簡単に自己防衛ができるようにすれば、人々はそうするようになります」
ところが、コストや感染率に関係なく、ほとんど自分を守ろうとしなかった人もいた。また、当初は自分を守ろうとしなかったものの、ほかの人が感染して初めて、より慎重な態度をとるようになった人もいた(この実験では参加者は2回感染する可能性があった)。
「自己防衛疲れ」の発生
チェンはこの実験で、「自己防衛疲れ」と呼ばれる現象が起きることを発見した。そうなる理由は、感染率が低くなると人々は強気になり、病気がまだ根絶されてないのに、再び外に出て自分を守ろうとしなくなるからだ。「社会的距離を確保する対策を講じ、それがうまくいくと、悪いことが起こらなくなります。人々は気をゆるめるようになり、結果として悪いことが起こる可能性が出てくるのです」
「大いに注目すべきことのひとつは、わたしがゲーム内で発生させた病気は本来なら問題になるようなものではなかったということです。すべての人が十分に安全な行動をとれば、全員でこの病気を根絶できたはずでした」と、チェンは言う。だが実際には、参加者がチェンの予想以上に不適切な行動をとったことから、チェンは助成金の一部を返還しなければならなくなった。参加者に渡す報酬の金額が、予想よりはるかに少なくなったからだ。
こうした現象のことを、経済学者は外部性(externalities)と呼んでいる。これは、ある人のとった行動が第三者に悪影響を与えても、行動を決定したその人には影響を与えないことを意味する言葉だ。気候変動がこれほど大きな問題になっている理由や、パーム油の環境への影響がイタリアのチョコスプレッド「ヌテラ」の価格に影響しない理由も、これで説明できる。
驚きの結末
コラプテッド・ブラッドの感染が拡大した理由のひとつもそうだ。感染が拡大するなか、開発者たちは団結してウイルスを抑え込もうとした。一部のプレイヤーは自己隔離に乗りだし、ゲーム内の辺境の地に足を踏み入れないようにした。
一方で、プレイヤーが逃げ出したせいで検疫に失敗するケースもあった(これはイタリアのロンバルディア州が封鎖される数時間前に、大勢の人が急いで逃げ出した件を彷彿とさせる)。また、感染したプレイヤーに自分が感染者であることを示す「フラグ」を立ててもらい、ほかのプレイヤーがその感染者に近づかないようにする取り組みもあった。
しかし、どれもうまくいかなかった。ウイルスに感染しても病気にならない「レヴェルの高いキャラクター」が、いつも通りに活動し続けたからだ。このプレイヤーたちは、仮想世界全体に大惨事を引き起こしていたにもかかわらず、感染の影響を受けていなかった。
最終的にWoWの開発者がコラプテッド・ブラッドの拡散を止めることができたのは、仮想世界全体で思い切った組織的対策に乗り出したあとだった。すなわち、サーヴァーをリセットしたのである。
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